寿経寺

今日も雪が・・・
今月はもう降らないのかな?


 

七稲地蔵(なないねじぞう)

寿経寺(じゅきょうじ)
金沢市東山1丁目31-5


明治維新の10年ほど前安政5年(1858)は地震や冷夏、長雨で稲が実らず、飢饉でした。
米の値段が買い占めや売り惜しみで高騰し、庶民の生活は苦しく。
町の十人組頭に願い出ても聞き入れてもらえず、皆で殿様(藩主前田斉泰)に
訴えることになったらしく、7月11日の夜、大勢の老若男女が卯辰山に登り、
城に向かって現状を大声で泣き叫び。
卯辰山から金沢城までそんなに離れておらず、声はお城に聞こえ、
翌日藩は対応を施したそうです。
当時は殿様を見下すとして卯辰山は一般庶民には立ち入りが厳しく制限され、
それと当時は手続きをふまないで、直訴するのは重罪で、そのため翌年に首謀者の
人たちが捕われ罰せられたとのこと
後年、渡津屋政右衛門によって、犠牲になった7人の供養のため、七体の地蔵が作られ、
観音坂付近の路傍に安置され、しばらくしてこの地蔵が寿経寺の門前に移され、
七稲地蔵として知られるようになった。
食べ物に困らないようにと7体すべてに稲穂を手に祀られています。

右から
河原市屋文左衛門、高橋屋弥左衛門、越中屋宇兵衛、能美屋佐吉、原屋甚吉、
平田屋孫兵衛、北市屋市右衛門
といわれています

←よかったら押してやってください



http://www.uotsune.com